OBN III`sのcommunicated to deathってonly onesのanother girl another planetやvibratorsのwhips and fursみたいで好きです。
会社の「お前くせえんだよ!」って言われて社服捨てられた後輩君に最近優しく接するように心がけてはナメられてる僕です。
今日のライブでシン君がtwo layers of paintを抜けるとか。
僕が12月に東京遊びに行ってレコ屋でマーティンニューウェルの12インチアルバムを発見し、一人歓喜に酔いしれている時に電話がなり、出たらシンが「白浜ちゃん、、俺バンド抜けようと思っててさ~」と電話が来たんですよね
しかし、せっかく東京来てるのにヘビーな話はちょっと、、と白浜特有の心の狭さを露呈させ、
「後でまた掛けなおすわ!」と電話を切り、数日後に電話した白浜です。
臭いって言われて社服まで捨てられた後輩には優しく接することが出来るので、本領を発揮しなかっただけです。
私の人生の重要な出来事の時には結構な頻度でなぜか全然関係のないシンが隣にいたりして、結構面白いんですが
なんでこんな雰囲気の関係を続けているのか、シンがバンドを抜けるということをきっかけに回顧しようという試みです
時は6年前
もうそんなに前なのか、、
当時16歳の苫小牧のダービークラッシュ、白浜(嘘)
僕のことを前から知ってる人はたまに知ってる荒木くんという昔からの友人がいるのですが、
割と趣向が近かったり、お互いそんなにイケてなかったので、と思ってたけど荒木は結構イケてました
こういう奴がいてさ~って荒木の話をした後に、荒木の写真を見せると
「え?かっこいいじゃん!!」って前に女の子が言ってたので、荒木くんはイケてます
イケてないのはこの僕です。悪いのは全部僕です。
高校進学して自然の流れで荒木と僕はバンドを組むことになりました
(僕と荒木以外のメンバーは全部荒木の友達でした。悪いのは全部僕です。)
そんな感じでバンドをやってたら、そのバンドでベースを弾いてた背がでかいブスが急にバンドをやめ出して
ライブも決まってたし困ってたら、エルキューブ(私の地元のライブハウス)の中野さんが
「ちょうどいいベースいるよ!白浜と同い年でシンてやつなんだけどさ~」
という感じでシンが登場です。
ちょうどシンもやってたバンドが解散して困っていると。
一体どんな奴なのかと疑い深い気持ちを引っさげ、ネットの世界に身投げ~!(これどうですか)
当時シンがやってたバンドのホームページを発見し、覗くと
まずバンド名が「2nd smoker」でした。
この、なんとも喫煙を思わせるバンド名。。。
アー写を見てみるとヤンキー4人が写っているアー写。。。
やってる曲は布袋のカバー。。。
明らかに不良である。
しかし、せっかく中野さんが紹介してくれたし、こんな田舎町に他にアテもないし、そもそも俺たち友達そんないないし、、
というわけでシンと一回練習に入ることに。
僕らはいつもドラムのやつのばあちゃん家で練習してたので、場所のわからないシンを迎いに行くことになった。
白浜一人で。。
シンの通ってる高校は追分高校と言っていた。不良がいる高校である。
追分高校は不良すぎて苫小牧に無いので、学校帰りにシンと駅で待ち合わせという流れ。
とりあえずビビリながら放課後にギターを背負い、自転車で遅刻だけはしないようにと思いながら駅まで向かっていたら
トラブルが。
向かっている最中に同級生不良集団の下校タイミングと出くわす。。。。。
「おい!チビ!!!おい!!シカトかこら!!!!!」
と同級生は大きい声とともに登場。と同時に心の中で「死ね」を連呼しました。
「ん?お前バンドやってんのか?そのギター」と言われ
「俺、頑張ってる奴は応援してっからよ。頑張れよ?またな!!!」
と謎に青春の1ページに放り込まれ、やつらは当時の不良の溜まり場「エジソン」と呼ばれるカラオケの方面に
消えていった。
と無駄なトラブルを回避し、駅に到着。すぐにシンが来た。
今と変わらず平常時でも顔面蒼白血色悪い顔で学ランの私
半袖短パンにひょろっとした容姿のシン(マキシマムザホルモンのシャツ)
「初めまして」と自分が言う前に「コンビニ寄っていい?タバコ無くなったんだよね~」と言われた。
やはりこいつ2nd smokerか、、、
そして練習場に着くやいなや、ベースをアンプにつないだかと思えばいきなりスラップをかますシン。
「ベンベンベン!!ベチベチベチ!!」
というのがシンとの初対面です。
ちなみにその時に僕と荒木がやってたバンド名は「atenim roll」という名前でした。
atenimというのは峯田をローマ字にして反対にしただけという。。。。
程なくしてバンド辞めるか~ってなってそのバンド辞めたのですが、
他にやることもないのでとりあえず自分はバンドをしないと、、、と謎の強迫観念にかられ、
新しくバンドをやることにしたのですが
まずメンバーがいない。友達もおらず、親に「いつも家にいるけど、、友達いないの?」と
部屋に入ってこられて真面目に聞かれてしまう始末、、、
というわけで、声かけれるのがその時はシンしかおらず、
恐る恐るメールしてみると「いいぜ!やろうぜ!!」って言ってくれたので
とりあえず一回二人きりで遊ぶことに。
明くる日、シンの家に行ってバンド名とか決めようぜ~という流れに。
僕は当時lookoutとかsnuffysmileとか素晴らしいな、、、と気づき始めた頃だったので
英語の名前でそういうパンクとかやりたいな~と思っていたのですが、シンが日本語がいいと言ってたので
当時は不良で怖かったので従うことに。
そんなこんなでバンド名を決めなくてはいけないのですが、
話の流れは僕が「東高校の奴が嫌いだ」みたいなテーマに。
そんなヘイト感から生み出されたワードから決まったバンド名
「指入れゲンメン」
だせえ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
僕のsnuffysmileはどこに、、、、、、、、、、
決まった数分後に「やっぱやめない?」って言ったけどシンは気に入ってしまったらしく、部屋の壁に
油性マジックで書き出す始末。
あああ、まじか、、、、、、
まあ、でも友達が出来たみたいで嬉しいな~ってなって、その後も二人でいろんな話をしながら過ごしていたのですが、
すっかり外も暗くなりはじめ、僕は当時門限があったので帰らなきゃな~と思ってたんだけど
シンが「泊まってけよ~!」って言ってくれたのが、すごく嬉しくて
試しに親に電話してみたら心配症の母も「まあ!裕平友達ができたの!!」と思ってくれたらしく、
特別に外泊許可がおりました。
嬉しさ混じりにシンに伝えたら、途端にすごい悪い顔しながら無免許だけど車で廃墟までドライブしようぜ
と話をされた。
ナードの僕は「警察に捕まり学校にバレて退学なんてことになったらどうしよう、、、、」と一気にテンションダウン。
「こいつとバンドやりたいけど、こいつの家に泊まるのは嫌だ。。でも急に帰るなんていったらナメられるし、どうすれば、、、、」と窮地に立たされた僕が取った行動は
うんこがしたくなったんだけど俺は人の家でうんこをするのが恥ずかしくて出来ないという謎の嘘をつき全裸で帰る
でした。
そんなこんなでシンとバンドを始め、気づいたら高校も卒業し、その時期くらいにシンが
「白浜ちゃん、俺東京行くわ」と言ったので解散したのですが、
上京から1ヶ月後、東京に負け即刻帰ってきたシンが加入したのがtwo layers of paintであります。
シンはベースだったんだけど(追分高校を中退し、謎の音楽学校に編入した影響でベースもうまかった)ドラムで誘われ、
シンも「いいすよ!」みたいなテンションで加入して、全くのど素人からドラムを初めて今に至るわけであります。
そんで、今日でトゥーレイヤーから抜けるみたいですが、僕はトゥーレイヤーもシンも好きなので、今後も色々楽しく物事が進んで欲しいものだと思います。
僕の作る曲を人生で初めて聴かせた人間であり、最初に認めてくれたのがシンでして、そういうクサイ感じなんですよね。
今後のシンの人生の発展を祈り、過去にこいつやべえな、、と思った出来事を載せておきます。
・会った当初、夏場は自宅からベースを担いで練習スタジオまでスケボー移動(自転車で40分くらいの距離)
・17歳の頃、旅してくるわ!と言ってアテもないのに青春18きっぷで鈍行を乗り継ぎ1ヶ月くらい一人で東京に行き出す。
・17歳の頃、「俺、赤が好きなんだよね!」と言って髪を真っ赤にして赤いGパン・赤いタンクトップで過ごす
・廃墟に遊びに行ってクマに襲われる
・アメリカの大統領は?と聞くと「ワシントンDC」と言う
・オノヨーコと話したことがある
・上京して化粧品の飛び込み営業の仕事をしていた頃、間違えてヤクザ事務所に営業をかけてしまったが
「バンドやりたくて上京してきたばっかで、、」と話したら同情してもらって持ってた分の化粧品を全部買ってもらった
・実家のアパートの投函口に配達人が間違えて投函したおかげで、買ってもいないマイケルジャクソンのTHIS IS ITを発売日に手に入れる
ちなみにこんだけ言っといて、僕は今日夜勤なのでライブ見に行けません。
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